第61回「からくり人形芝居」【桐生からくり人形芝居保存会会長 竹田賢一】

2011年7月2日 9:00 AM

【成功させよう「群馬デスティネーションキャンペーン」第61回】
 「からくりって何?」漠然とは分かる気がするが「糸を引っ張って動かす」の語源から、「からくる」という動詞が名詞化され、今では日本の伝統的な機械仕掛けの人形や、模型あるいは装置の総称で、確たる定義はありません。
 そのからくり人形芝居は、寛文2年(1662年)の頃、京都四条河原に芝居小屋を建てた近松門左衛門や竹田出雲が初めで、大阪道頓堀でからくり人形芝居は定着しました。
 なぜ桐生にからくり人形芝居の生き人形が残っていたかは、明治27年に、桐生天満宮御開帳の付け祭りに、浅草から8代目竹田縫之助が来て、町内でからくり人形芝居をしたのが最初で、都合6回開催されましたが、その貴重な人形が昭和63年旧家の蔵から出品され「ふるさとの祭り展」で大反響を呼んだのであります。
 桐生は江戸時代天領として、権威を示す殿様や武士がいなかったため、織物産業の隆盛と相まって町民の生活が豊かで、文化的行事や祭りには織屋の旦那衆が多額の寄付をして支援し、舞台仕掛けなどは、からくり人形師などのプロではなく、織物関係の職人が主体で糸仕掛けなど工夫して作りました。
 現在、オリジナル人形は48体、レプリカ人形は35体あり、桐生有鄰館内の芝居館では、「曽我兄弟夜討ち」「巌流島の決闘」「義士討入り」「助六由縁江戸櫻」の演目舞台を観ることができます。
 人形の頭は、NHKで「笛吹き童子」や「紅孔雀」の人形劇の人形作家斉藤徹の作で、ボディーは保存会のスタッフであるこけし作家が作り、衣装は女性が桐生織物の生地を使って縫製し、小道具は廃品活用で作りましたがプロの仕掛け人に比肩しても創意工夫が随所にみられます。
 人形の復元作業中、埼玉県本庄市の「米福」で昭和3年に制作された「宇治川の決戦」の人形は、一流の人形師でも復元は困難との精巧な出来栄えの逸品でありますが、その逸話として桐生市梅田町高園寺の池で、月夜の晩に馬を洗っていると、この名馬に魅了された桐生城主が「池月」と命名し、源頼朝に献上したという伝説があり、地名として「飛駒」「馬たて」などがあり、梅田は名馬の産地でもある事が分かります。
 からくりは地場産業としてはパチンコ機械生産の産地として、また機械操作システムからロボット技術にも活用されています。
 昨年、プレ群馬DCでは、土日祭日も開放して芝居館を観てもらい、1104名が全県から来訪され盛況でした。本年も群馬DCに向けてご来館をお待ちしております。

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