【成功させよう「群馬デスティネーションキャンペーン」第30回】
島村は、櫓(やぐら)のある大型養蚕農家が数多く残っています。かつては、辺り一面に桑畑が広がり、村は桑畑の中にありました。
昔、利根川の流れは幾度となく変わり、日本一の大河となった利根川は、自然の猛威を思うままに振るい、土手らしい土手もなく、洪水のたびに流れを変えては、中洲に川欠けをつくり、又、寄洲をつくりました。
島村は、文字どおり利根川の中洲とその両岸にできた村であり、初めに人が住み着いたのは中洲に位置した前島でした、ここが島村の本村であります、村の歴史は、まさに水との闘いでした。繰り返される洪水にただじっと耐えることばかりでなく、先人達は、洪水によって運ばれた肥沃な土壌が、良質な桑の生育に適していると気付くと競い合うように蚕を飼い、繭を取り、繭からさなぎを取り出しガに卵を産ませ蚕種業を発展させ富を得ました。さらに、この蚕種を輸出し、西欧の文化を知ることとなりました。こうして洪水を味方につけ天災に打ち勝った島村の精良な蚕種は、海外にもその名を轟かせました。
島村の先達の一人田島弥平は、明治5年と12年の2回にわたり、蚕は自然環境にまかせる飼育法、いわゆる「清涼育」を考案、「養蚕新論」を著し出版し、当時これがベストセラーとなりました。この本の版木が市指定重要文化財となっています。この清涼育を行うために蚕室の屋根に櫓を乗せ空気の流通を良くし、蚕の飼育環境を良好なものにしたのであります。この櫓を乗せた家が今でも数多く残っていて、特に新地地区には、総櫓、三ツ櫓、二ツ櫓、一ツ櫓といろいろと残っていて、まさに明治を見ることができます。
この島村をなんとしても残し、活力ある村にしたくて「ぐんま島村蚕種の会」を五年前に立ち上げ、今、県を挙げて進める「富岡製糸場と絹産業遺産群」が目指す世界遺産の仲間入りができればと頑張っているところであります。
利根川で南北に分かれた村の両サイドを舟が結ぶ「島村の渡し」(県道)が運行されていて、舟に乗りながら櫓の乗った大型養蚕農家群をぜひ見に来てほしいと願っています。
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